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城下盛岡ほんちょうへ
本町(ほんちょう)は、1609(慶長14)年中津川に「上の橋」が架けられて以来の古い街です。かつては盛岡城下で奥州街道沿いの目抜き通りでした。商店街としては第一線の座をゆずりましたが、今なお地域密着のお店が並び、住みよい街をめざしています。
春には中津川で『さけの赤ちゃん放流会』を催すなど、地域との交流を深めながら盛岡の観光と自然豊かなまちづくりの一端を担っています。
岩手医大の移転跡地の利用・開発ビジョンは喫緊の地域課題。そのうえ新型コロナ禍の試練ですが、この街には飢饉、戦争、疫病、災害を乗り越えてきた歴史があります。
歴史を刻むスポットと新しい息吹が混在する本町界隈。ゆっくり歩くと、いろんな発見が楽しめる街です。
散策マップ付きフリーペーパー
城下盛岡
ほんちょう栞ものがたり
「城下盛岡ほんちょう栞ものがたり」は、本町・内丸界隈の散策マップ付き無料紙として2016(平成28)年2月に創刊しました。発行元の「本町振興会」のお店や事業所の紹介をはじめ、散策マップでは名所や旧跡、飲食店やお土産屋なども掲載しています。さらに、マップに掲載した名所や旧跡を特製の「ほんちょうしおり」にデザインし、会員のお店で配布しています。裏面には、栞の絵にまつわる“ものがたり”を綴っています。散策のお供にぜひご活用くさい。
私たちの街
本町について
本町(ほんちょう)はかつて京町と呼ばれ、奥州街道のめぬき通りとして繁栄を極めた町です。三戸から盛岡へ居城を移すという大事業を父・南部信直公から引き継いだ27代利直公は、築城と並行して城下町を造成しました。上の橋を挟む一帯は近江や京都などから招いた商人たちを定住させ、盛岡城の大手門をひかえた現在の本町通1丁目の道筋には呉服屋、古手商(古着屋)、旅篭屋、雑貨商、菓子商、ござ縄商、味噌醤油商などの商家が軒を連ねました。
文化9(1812)年に盛岡城下の町割りが23から28へ拡大され、京町は「本丁」へと変わりました。本屋さんが多かったわけではないので、もしかしたら「ほん」ではなく、「もと」という意味だったのかもしれません。
明治に盛岡駅が開業しても、大正から昭和にかけて大通商店街が誕生しても、本町は相変わらずの繁栄ぶりで、昭和40年代までは盛岡を代表する繁華街のひとつでした。昭和38年の住居表示法の施行で油町、大工町、花屋町、八日町、四ツ家町、三戸町などは本町通1〜3丁目として吸収され、本町の名だけが残されました。